パリとイタリアはどう違う?なぜ違う?
歴史・文化・芸術の宝箱パリで楽しんだ文化比較の旅

12月下旬、3泊4日でパリに行ってきました。

夫と娘の誕生日がクリスマスと近く、プレゼントのネタ切れの末に思いついたのが旅行。隣の国にも拘わらずフランスに行ったことがない夫と、パリを舞台にしたアニメ「ミラキュラス レディバグ&シャノワール」が大好きな娘、どちらにも喜んでもらえそうだという理由でパリにしました。

ちょうど日本から遊びに来ていた母も連れての4人旅。

イタリア大好きイタリア人夫
イタリア8割・日本2割ぐらいをMIXした娘
海外旅行の回数は多いけれど日本で暮らす母
日本人だけど人生のほぼ半分をイタリアで暮らす私

年齢も文化背景も違うメンバーが、パリの街をぶらぶら歩きながら見たことや感じたことを伝えあっていると、疑問や発見がどんどん出てきました。

3泊4日、1日平均で15000歩 歩いたパリの旅は、比較文化の連想ゲーム。

今回は、イタリアに20年以上住みパリへの訪問3回目の筆者が、家族との旅で見つけた「パリとイタリア、ココが違うよ」という発見を三つお伝えします。

#1.街の建築に統一感があるパリと、新旧建築が入り乱れてごちゃごちゃしているミラノ

パリの街を歩き始めてすぐに抱いた感想は「空が広いなぁ」ということでした。道路の幅、特に歩行者道路の幅が広く、建物の高さがそれほど高くないので、どこまでもずんずんと進んでいきたくなるような、ゆったりとした開放感を感じるのです。

対してミラノの街はといえば、歩行者道路の幅が1メートル足らずのところもあり、向かってくる人とすれ違うのもやっと。ただでさえ狭い歩道に自転車が停められていることも多く、とても散歩を楽しめる雰囲気ではない場所が多い印象です。

開放感の次にパリで気がついたのは、建物の外観に統一感があること。グレーやクリーム色の石造りの建物は、窓やバルコニーの作りも、ダークグレーのぽっこりした最上階の屋根裏の雰囲気も似通っています。高さも揃っていて、にょきんと立った高層ビルはありません。

すっきりしていながらも、街並みになんというか、威厳が感じられる。イタリア大好きで外国の良さを褒めることが少ない夫の口からも「エレガント」という言葉が漏れました。

夫はちょっと悔しかったのでしょうね。すぐスマホで検索を始め、にわか仕込みのパリの建築史を簡単に説明してくれました。

  • 17世紀初頭、パリでは災害を防ぐために石・レンガでの建物造りが命じられた
  •  現在のパリは19世紀半ば、ナポレオン3世の統治下でジョルジュ・オスマンによって実施されたパリ大改造事業で作られた

パリ大改造事業では、街路の幅が広げられ、パリを貫く直線道路や交通を循環させる大通りが計画的に作られたそうです。加えて、街路に面する建造物の高さは街路幅に応じて定められ、屋根の形態や外壁に用いる石材まで指定されていたとのこと。統一感のあるパリの街の景観は、徹底した大改造の成果によるものだったのです。

そして規則が時代によって変わっても、歴史的景観を守り続ける流れが変わらないからこそ、今のパリの姿がある。これは、過去に2度パリに来ていた私にとっても新しい発見でした。

スマホ先生を頼りにした夫の雑学講義はまだまだ続き、第二次世界大戦中ナチス・ドイツに占領されたパリが、破壊を免れた理由を知ることもできました。

フランス政府はパリの歴史と文化を守るために、ドイツ軍がやってきた際に、抵抗や戦闘をせずにパリを開放したそうです。その後ドイツの敗戦が間近に迫り、ヒトラーはパリのドイツ軍司令官に街の破壊を命じましたが、司令官はこれを無益で野蛮な行為だとしてヒトラーの命令を無視。こうして戦略的・道徳的な理由で破壊を免れたパリの歴史的景観は、今も私たちに、150年の時をさかのぼる体験を楽しませてくれています。

もちろんミラノにも、ドゥオーモ(大聖堂)広場とスフォルツェスコ城を繋ぐダンテ通りのように、街路の幅が広く、隣接する建物の外観に統一性が感じられる場所はあります。ただ、ミラノは第二次世界大戦で激しい爆撃を受けて、18世紀・19世紀の多くの建物が失われてしまいました。

「パリほどの芸術的・建築的価値が無かったから戦争で壊されて、その後に都市計画も持ちあがらなかったから、ミラノは被害を受けなかった建物と、被害のあとに新築された建物が混在するごちゃごちゃしているんだな」と、夫は講義の終わりに、諦め顔で呟きました。

#2.パンテオンといえばローマのあの建物だと思っていたのですが

実はパリにもあったんですね、パンテオン。

「パンテオン」というのはローマのパンテオン神殿の固有名詞だと思っていたので、地図でこの名前を見つけたときは驚きました。ホテルから近かったので「パリの古代神殿を見に行こうか」と散歩がてら向かった先で、ローマの神殿とは似ても似つかないパリのパンテオンを目にして、二度目のビックリ。

パンテオンには「すべての神々の神殿」という意味があることを、今回の旅ではじめて知りました。

ローマのパンテオンは公式サイトによると、紀元前27年、初代皇帝アウグストゥスの娘婿であるアグリッパによって、7つの惑星の神々に捧げるために建てられたそうです。西暦118年から125年にかけてハドリアヌス帝によって現在の姿、コリント式の円柱がある屋根付きの入口と円形のドームを持つ建物に再建され、古代ローマの神を祀っていました。その後はキリスト教に改宗されていますが、何世紀にもわたって実質的に無傷のまま残っている唯一の古代ローマの建物です。

(写真出典:https://www.pantheonroma.com/home-eng/)

今回訪問したパリのパンテオンは18世紀後半に建てられたとのこと。もともとはパリの守護聖人である聖ジュヌヴィエーヴに捧げられた教会だったのですが、後にフランスの著名な市民たち、啓蒙思想の哲学者、帝政時代の高官、作家、科学者、レジスタンスの闘士などの遺体を祀る墓所・墓廟となったようです。

パリのパンテオンの外には啓蒙時代を代表する哲学者ルソーの銅像があり、ルソーと同時代の哲学者のヴォルテールもパンテオンで眠っています。

『レ・ミゼラブル』の著者ヴィクトル・ユーゴーのお墓もあり、ライター人生にペン先ほどでも大文豪のご加護をいただけるよう、しっかり手を合わせてきました(笑)

#3.ミラノの方が立派?!ナポレオンの凱旋門

パリのシャンゼリゼ通りの西の端にあるエトワール凱旋門は、パリのシンボル的モニュメントの一つ。ただ、オスマンの都市計画によりこの凱旋門を中心に放射線状に大通りが伸びているので、いつも周囲を車に囲まれて、なかなかいい写真が撮れない観光客泣かせのスポットです。

凱旋門、というと世界中の多くの人がこのパリにある凱旋門を思い浮かべると思いますが、パンテオンが固有のモニュメントではなく「すべての神々の神殿」をあらわすように、凱旋門は一つの「戦勝記念碑」です。

エトワール凱旋門は、ナポレオン・ボナパルトがアウステルリッツの戦いでロシア軍を破った記念に1806年に建設が始められました。ただ、完成したのはナポレオンが死んだ後の1836年。凱旋門をくぐるためには長期政権を維持する必要があるんですね。

さて、パリの建物が醸し出す統一感や荘厳さに「こりゃイタリアは敵わない」と白旗を挙げていた夫ですが、エトワール凱旋門を見た瞬間、溜飲が下がったようです。

「凱旋門に関しては、ミラノの方が門そのものも、周りの環境もキレイだ!」というのが夫の言い分です。

パリ旅行からミラノに戻った後、夫の説を検証するために、家族みんなで久しぶりにミラノの凱旋門「平和の門(Arco della Pace)」を見に行きました。

ミラノの凱旋門の最初のアーチが建設されたのは1806年、イタリア提督だったナポレオンの息子の結婚祝いのためだそうです。このアーチは翌年の1807年、ナポレオン率いるフランス軍がイエナの戦いでドイツ軍に勝利したことを記念して、あらためて凱旋門として建設が開始されました。ところがイタリア王国の崩壊(1814年)で工事は中断、翌年にはナポレオンも失脚。門の建設は10年以上経ってようやく再開され、完成した後は凱旋門ではなく「平和の門」と呼ばれるようになったそうです。

平和の門はミラノ市民の憩いの場センピオーネ公園内にあり、公園の先にはミラノで最も重要なモニュメントの一つであるスフォルツェスコ城があります。19世紀の門をくぐって、中世の要塞へと散歩できる。パリの優美さにすっかり魅了された私ですが、凱旋門については夫の意見に賛成の一票を投じました(芸術は勝ち、負けではないのはわかっていますが……)。

#旅先では、あなただけの発見を楽しもう!

この記事では、三度目のパリ旅行で私が気になった発見について三つ取り上げ、掘り下げてみました。
ただ、パリの街を歩いていて「知りたいな」と思ったことはまだまだたくさんあります。

  • セーヌ川岸の遊歩道で古本や油絵を売る箱型の屋台はいつできたの?
  • チュイルリー公園の樹木は、どうして不自然にまっすぐに切り揃えられているの?
  • 公園の噴水のそばにもれなくあるベンチはなんのためにある?

などなど。

旅が終わっても、不思議の追求は続きます。

旅をすることは、新しい世界を知ること。そして新しいことを知ったときに、自分の普段の生活や住んでいる環境と比べたらどうなんだろう、という視点を持ってみると、自分の世界がより広く深くなっていくと思います。

気になることはスマホで気軽に調べられるようになった今、旅先ではあなただけの「なぜ」「どうして」の連想ゲームを楽しんでみませんか。そんな旅はきっと、あなたの人生を楽しく豊かなものにしてくれますよ。

― 今回行った場所 ―

パリ(フランス)
観光目的地ランキングで3年連続世界ナンバーワンのパリ。空の便の玄関口は北東部のシャルル・ド・ゴール空港か、南にあるオルリー空港です。

東京からはJAL、ANA、エールフランスがド・ゴール国際空港に直行便を運航しています。日本からの直行便が就航しているヨーロッパ内の空港からも1時間~3時間でアクセス可能です。

歴史・文化・芸術の宝箱のようなパリの街は、何度行ってもきっと、新しい発見に出会えるはずです。